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    You are at:Home»特集»アントニン・レーモンド

    アントニン・レーモンド

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    By Glenn Scoggins on 3月 8, 2023 特集

    日本と米国において長年大きな影響をもたらしてきた建築家の一人、アントニン・レーモンド(1888年-1976年) 。彼が手がけた建物は現在も横浜に4つ残っている。レーモンドはオーストリア=ハンガリー帝国内のボヘミア王国(現・チェコ共和国)に生まれ、1912年にニューヨークへ移住。まもなくフランク・ロイド・ライトの有名な事務所であるタリアセンで働き始めた。1919年の大晦日、帝国ホテルの建築のためにライトと訪日したが、二人はほどなくして芸術的な方向性の違いで別々の道を歩むことになる。レーモンドは第二次大戦の戦時中以外はほぼ日本に滞在し、キャリアを積んでいった。

    独立後に日本で初めてレーモンドが設計した有名な建物として、東京女子大学のキャンパスと礼拝堂があり(現存)、彼の特徴的な打放しコンクリートを活かしたデザインで設計された大学はほかにもある。それ以外にも、レーモンドは大使館、教会、学校、ゴルフ場のクラブハウス、企業の本社ビルなど幅広い建築を手がけた。住宅の設計においては、ふすま、障子や梁もデザインの一部に採用され、日本の伝統文化へ敬意が表現されている。

    横浜市内で彼が設計した建物として最も有名なのは、1926年にスイス人貿易商・エリスマンのために建てられた邸宅、エリスマン邸だろう。1982年にマンション建設のため解体されたが、横浜市によって1990年に元町公園内に移築・復元され、現在は一般公開されている。中に入ると大きな窓から周辺の美しい景色が眺められ、冬には各部屋に備え付けられた蒸気暖房機が建物全体を暖めている。また山手にはレーモンドの設計だと考えられている邸宅「山手133番館」があり、横浜のパティスリー「モンテローザ」を運営する三洋物産の社長が取得、先ごろ修復・復元された。ライジングサン石油会社(現・昭和シェル石油株式会社)は1928年に社宅の設計をレーモンドに依頼。機能的な造りの建物は、現在はフェリス女学院大学山手キャンパスの一部として現在も利用されている。伊勢佐木町商店街には、もう一つレーモンドの作品が残っている。ハマッ子に代々愛されている「不二家レストラン(1938年)」だ。

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